コピーデッキについて
2018年9月7日 Magic: The Gathering地元の店では平日木曜日にスタンダード・ショーダウンがある。
珍しいよね。
まつがん使用の青単ストームを使ったんだけれど、やっぱり人のデッキを使うのは苦手。
「なぜこれが入っているか」
「このカードの使い所」
「使う順序」
を分からずに使うものだから、本来使うべき局面で使うカードを、どうでもいいところで使ったり、対処しなければいけないものをスルーしたり。
やはり、デッキは自分で作るほうが良いし、コピーデッキを使って
結果を出そうとすることについては否定的です。
理由は以下の3点です。
1「作った人の熟練度で回せない」
2「メタゲームの異なり」
3「成長が止まる」
↓↓↓補足の説明↓↓↓
─・─・─・─・─・─・─・─・─
<作った人の熟練度で回せない>
デッキが完成するのはいつでしょう。
75枚のカードを選んで、スリーブに入れた時?
カードリストを作成した時?
75枚のカードでプロツアーを優勝した時?
そのいずれも「違う」と思います。
デッキは人の思いが組み込まれた紙束です。
その思いは、環境によって変わるべきです。
デッキ作成者は「これでいいかな?」と常に疑問を
もって、日々チューンナップを繰り返して、それで
大会で好成績を収めることを夢見てデッキを組みます。
そしていざ75枚携えて、大会に出る。
散々な結果でした。
これはまだ「デッキは出来ていない」という状態です。
なぜなら、強いと思われていたカードが、このデッキには
合っていないことがわかったからです。
なのでこのカードはどうだ、と入れ替えてまた大会に臨みます。
前よりは良かったけれど、いまいちでした。
前に入れ替えたカードではなく、じつはそのカードは必要で、
本当に入れ替えなければならないのはこのカードとこのカードだ
とわかったからです。
つまりこのように、日々状況に応じたカードの選択によって
「デッキは成長する」そして、そのカードを選んだという自身の
歴史が、「このカードを知り、デッキを知る」こととなり、また
それこそが「熟練度」ということになります。
その過程を知らずに、結果のみ表示されたリストでは「本当にその
デッキを使える」と言えるのかは疑問です。
PDCAサイクルを回し続けることにより、デッキの完成に「近づく」
のだと俺は思っています。
(消極的ですが、「完成」というものはいつまでも届かないゴールとも)
─・─・─・─・─・─・─・─・─
<メタゲームの異なり>
地域性というものがあります。
俺の住んでいるところは、カードショップ事情が貧弱で
大会に参加するには車で最低40分かけて行かなければ
ならないことが多々あります。
カードショップは「常連」と呼ばれるような、だいたいその
店に行くといる人がいます。
そういう人たちはやはりその店の大会に参加することが多く、
そういう人たちはやはり「性格が出ている」デッキを使います。
デッキそのものに性格が出る、あるいはプレイングに性格が出ます。
その常連たちは別の常連たちに勝つべく、いろいろと策を講じます。
あのデッキに勝つためにはこのアーキタイプが強い。
このカードがあれば、有利に場を進められる。
そういう店内での切磋琢磨が、「この店ではコントロールが多い」
「この店ではアグロが多い」といういわゆる地域メタを発生させます。
大会優勝デッキというのは、まさにこの地域メタを制したデッキである
ことが多いと考えています。
16人以下の小規模大会で、通常ならありえないような内容(例:コンボ
デッキがやたら流行っている店で《失われた遺産》4枚積んで、キーカ
ードを抜くことだけに特化したデッキが優勝するなど)のデッキが、
100人以上の大規模大会でまんべんなく一般的なメタに対応できる受け
の広い柔軟なデッキに打ち勝つことは良くあります。
つまり、絶対的に強いデッキなんてありません。
強いデッキはありますが、勝てるデッキとイコールではないのです。
勝てるデッキは、その場に合ったデッキです。
その場に合っているかどうかは、その店を知ることやその店に来る人を
知ることなどである程度予測することができますが、(傾向としての対
策は取れますが)完全には無理です。
そんな予想が出来たら、勝率が高いデッキを簡単に組めますね。
(MTGはそういうつまらないゲームではないのはご存知だと思いますが)
─・─・─・─・─・─・─・─・─
<成長が止まる>
宿題やテストなどには問があり、解答欄があります。
その解答欄を、答えを見ながら埋めたことはありますか。
そしてその埋めた答え、すぐ忘れませんか?
コピーデッキの使用もそんなものです。
自分で悩まない、選ばないから、状況についての解答が身につかない。
「Easy come, easy go」そのものです。
先述もしましたが、「完成」はいつまでも追いつかないものですが
それに近づけるための努力を惜しまないその姿勢を続ける者こそが
完成を手にする資格を得るのではと思いいます。
ただ強そうだからと人のデッキを借りて回すのは、すぐ飽きてしま
います。面倒くさいことであっても、楽しみのためには必要な過程
であると思います。
それをないがしろにすることは、自ら楽しみの寿命を縮めていること
にほかならないことで、デッキの成長・自身の成長のどちらも止めて
しまうことに繋がります。
─・─・─・─・─・─・─・─・─
と、さんざんこき下ろしてきましたが、コピーデッキを全否定すると
いうことではありません。
練習する時間がなかったり、楽しそうな構成だからやってみたかったり、
そのデッキビルダーの思いをなぞってみたかったり、いろいろです。
ただ、それを「自分のデッキ」としてそのままノーチューンで回し続ける
のは、数多くのカードが存在するトレーディングカードゲームで、あまり
にも虚しいことだと思います。
せっかく自分の時間を削って遊んでいるのですから、面白さはしゃぶり尽
くしていきませんか?
ん。自分の勝手にさせろ?
それもまた正しい理由です。
それでは。
珍しいよね。
まつがん使用の青単ストームを使ったんだけれど、やっぱり人のデッキを使うのは苦手。
「なぜこれが入っているか」
「このカードの使い所」
「使う順序」
を分からずに使うものだから、本来使うべき局面で使うカードを、どうでもいいところで使ったり、対処しなければいけないものをスルーしたり。
やはり、デッキは自分で作るほうが良いし、コピーデッキを使って
結果を出そうとすることについては否定的です。
理由は以下の3点です。
1「作った人の熟練度で回せない」
2「メタゲームの異なり」
3「成長が止まる」
↓↓↓補足の説明↓↓↓
─・─・─・─・─・─・─・─・─
<作った人の熟練度で回せない>
デッキが完成するのはいつでしょう。
75枚のカードを選んで、スリーブに入れた時?
カードリストを作成した時?
75枚のカードでプロツアーを優勝した時?
そのいずれも「違う」と思います。
デッキは人の思いが組み込まれた紙束です。
その思いは、環境によって変わるべきです。
デッキ作成者は「これでいいかな?」と常に疑問を
もって、日々チューンナップを繰り返して、それで
大会で好成績を収めることを夢見てデッキを組みます。
そしていざ75枚携えて、大会に出る。
散々な結果でした。
これはまだ「デッキは出来ていない」という状態です。
なぜなら、強いと思われていたカードが、このデッキには
合っていないことがわかったからです。
なのでこのカードはどうだ、と入れ替えてまた大会に臨みます。
前よりは良かったけれど、いまいちでした。
前に入れ替えたカードではなく、じつはそのカードは必要で、
本当に入れ替えなければならないのはこのカードとこのカードだ
とわかったからです。
つまりこのように、日々状況に応じたカードの選択によって
「デッキは成長する」そして、そのカードを選んだという自身の
歴史が、「このカードを知り、デッキを知る」こととなり、また
それこそが「熟練度」ということになります。
その過程を知らずに、結果のみ表示されたリストでは「本当にその
デッキを使える」と言えるのかは疑問です。
PDCAサイクルを回し続けることにより、デッキの完成に「近づく」
のだと俺は思っています。
(消極的ですが、「完成」というものはいつまでも届かないゴールとも)
─・─・─・─・─・─・─・─・─
<メタゲームの異なり>
地域性というものがあります。
俺の住んでいるところは、カードショップ事情が貧弱で
大会に参加するには車で最低40分かけて行かなければ
ならないことが多々あります。
カードショップは「常連」と呼ばれるような、だいたいその
店に行くといる人がいます。
そういう人たちはやはりその店の大会に参加することが多く、
そういう人たちはやはり「性格が出ている」デッキを使います。
デッキそのものに性格が出る、あるいはプレイングに性格が出ます。
その常連たちは別の常連たちに勝つべく、いろいろと策を講じます。
あのデッキに勝つためにはこのアーキタイプが強い。
このカードがあれば、有利に場を進められる。
そういう店内での切磋琢磨が、「この店ではコントロールが多い」
「この店ではアグロが多い」といういわゆる地域メタを発生させます。
大会優勝デッキというのは、まさにこの地域メタを制したデッキである
ことが多いと考えています。
16人以下の小規模大会で、通常ならありえないような内容(例:コンボ
デッキがやたら流行っている店で《失われた遺産》4枚積んで、キーカ
ードを抜くことだけに特化したデッキが優勝するなど)のデッキが、
100人以上の大規模大会でまんべんなく一般的なメタに対応できる受け
の広い柔軟なデッキに打ち勝つことは良くあります。
つまり、絶対的に強いデッキなんてありません。
強いデッキはありますが、勝てるデッキとイコールではないのです。
勝てるデッキは、その場に合ったデッキです。
その場に合っているかどうかは、その店を知ることやその店に来る人を
知ることなどである程度予測することができますが、(傾向としての対
策は取れますが)完全には無理です。
そんな予想が出来たら、勝率が高いデッキを簡単に組めますね。
(MTGはそういうつまらないゲームではないのはご存知だと思いますが)
─・─・─・─・─・─・─・─・─
<成長が止まる>
宿題やテストなどには問があり、解答欄があります。
その解答欄を、答えを見ながら埋めたことはありますか。
そしてその埋めた答え、すぐ忘れませんか?
コピーデッキの使用もそんなものです。
自分で悩まない、選ばないから、状況についての解答が身につかない。
「Easy come, easy go」そのものです。
先述もしましたが、「完成」はいつまでも追いつかないものですが
それに近づけるための努力を惜しまないその姿勢を続ける者こそが
完成を手にする資格を得るのではと思いいます。
ただ強そうだからと人のデッキを借りて回すのは、すぐ飽きてしま
います。面倒くさいことであっても、楽しみのためには必要な過程
であると思います。
それをないがしろにすることは、自ら楽しみの寿命を縮めていること
にほかならないことで、デッキの成長・自身の成長のどちらも止めて
しまうことに繋がります。
─・─・─・─・─・─・─・─・─
と、さんざんこき下ろしてきましたが、コピーデッキを全否定すると
いうことではありません。
練習する時間がなかったり、楽しそうな構成だからやってみたかったり、
そのデッキビルダーの思いをなぞってみたかったり、いろいろです。
ただ、それを「自分のデッキ」としてそのままノーチューンで回し続ける
のは、数多くのカードが存在するトレーディングカードゲームで、あまり
にも虚しいことだと思います。
せっかく自分の時間を削って遊んでいるのですから、面白さはしゃぶり尽
くしていきませんか?
ん。自分の勝手にさせろ?
それもまた正しい理由です。
それでは。
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